リトアニアの悪魔の博物館(1) (JP)

「えー、ひどい、悪魔みたい」

イギリスでの調査中、ふざけてきた友人に何気なく、こう言い放ったとたん、相手の顔色がさっと青ざめたことがあった。

キリスト教で「悪魔(devil, demon, Satan)」は、神(God)に逆らった絶対的に邪悪な存在。「小悪魔的美少女」など、気軽に「悪魔」という言葉を使う文化で育った私が、キリスト教圏で「悪魔」という言葉がタブーとされていることを理解した瞬間だ。

だから、この日からしばらくして、バルト三国の一つ、リトアニアで偶然「悪魔博物館」を見つけた時、その名を二度ならず、三度は見直した。

  
庭にも悪魔を模したオブジェ    悪魔カフェへようこそ?!   悪魔の切り紙

その日は見学者も少なく、学芸員の方が出てきてくれた。博物館の名称に驚いたと伝えると、「私たちは昔、みんなペイガンだったのよ」と明るく、少し自慢げに言う。

「ペイガン」とは、キリスト教が拡大していったヨーロッパで、キリスト教に改宗せず、伝統的な信仰を保持し続けた「異教徒」を指す言葉だ。近年では、キリスト教のカウンターとして復興運動も始まっているが、もともとは、キリスト教に従わない田舎者という侮蔑語である。イギリスでは、学芸員という立場の人が、過去にペイガンだったと嬉しそうに話すことは、想像しづらい。

彼女がそう語った背後には、リトアニアが、ヨーロッパで最後までキリスト教を受け入れなかったこと、ロシア/ソ連に占領されていたことが関係していたと思われる。

ローマを総本山とするカトリックは中世、キリスト教への改宗を拒む国々に軍隊(騎士団)を送り、改宗を迫っていた。バルト諸国はローマから遠いこともあり、長い間、改宗を受け入れずに済んでいた。13世紀、エストニアとラトヴィアが、リヴォニア帯剣騎士団に征服され、キリスト教を受け入れても、リトアニアは、逆にこの騎士団を壊滅させてしまう。それほどの強国だった。

しかし、改宗させた異教徒(ペイガン)の土地を自分の領土としていくドイツ騎士団(チュートン騎士団)の勢いに脅威を感じたリトアニア大公は、1386年、隣国ポーランドの女王と結婚し、国全体でポーランドと同じキリスト教(カトリック)に改宗する。こうして、キリスト教への改宗を迫る、ドイツ騎士団の侵攻から国を防いだ。

当時、信仰の自由はなかった。その土地を納める主君が改宗すれば、臣民も改宗することになる。それまでの伝統的な信仰を捨てて、キリスト教に改宗するようにいわれても、生活の中に根づいた信仰まで絶やすことは難しい。そのため、伝統的な信仰(ペイガニズム)はとりわけ農村部では続いていた。伝統的な信仰のモチーフが描かれた十字架も、田舎の方ではまだ見られるそうだ。

さて、ポーランドとリトアニアの連合王国(後に共和国)は、1795年、ロシア、プロイセン、オーストリア(ハプスブルク帝国)に分割され、今のリトアニアはロシア領となる。一時、独立するものの、1991年まで、ソ連の領土であった。ロシア/ソ連の占領時代、リトアニア語での出版や学校でのリトアニア語の使用は禁止された。一方で、伝統的な歌や踊りに関しては、リトアニア語の使用が認められた。そのため、田舎に残っていた古い歌や踊り、つまりペイガニズムの伝統が、リトアニア独自の文化として大切にされた。

(2)につづく・・・

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